太宰とアブサン
生誕百年や映画化などなど
最近なにかと話題にのぼるような気がする太宰治
彼の作品にも酒に関する文章が多いですが、
アブサンももちろん含まれています。
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”人間失格”
『このような時、自分の脳裡におのずから浮びあがって来るものは、あの中学時代に画いた竹一の所謂「お化け」の、数枚の自画像でした。失われた傑作。それ は、たびたびの引越しの間に、失われてしまっていたのですが、あれだけは、たしかに優れている絵だったような気がするのです。その後、さまざま画いてみて も、その思い出の中の逸品には、遠く遠く及ばず、自分はいつも、胸がからっぽになるような、だるい喪失感になやまされ続けて来たのでした。
飲み残した一杯のアブサン。
自分は、その永遠に償い難いような喪失感を、こっそりそう形容していました。絵の話が出ると、自分の眼前に、その飲み残した一杯のアブサンがちらついて来て、ああ、あの絵をこのひとに見せてやりたい、そうして、自分の画才を信じさせたい、という焦燥《しょうそう》にもだえるのでした。』
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なかなかアブサンに対してはポジティブなとらえ方をされていますが、
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”酒の追憶”
『それがいまでは、どんなものか。ひや酒も、コップ酒も、チャンポンもあったものでない。ただ、飲めばいいのである。酔えば、いいのである。酔って目がつぶれたっていいのである。酔って、死んだっていいのである。』
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こちらはまったくもって
古いタイプのロックミュージシャンを思い起こさせる言動です。
明日も楽しく飲めるようにほどほどに!
Absinthe Tokyo